2009/07/28

江戸の人々の贈り物『もんきりがた』

7月11日の紋切りあそびワークショップは向島百花園にて。
ここは18世紀初、
江戸の文政期にある骨董商と仲間の文人たちが造園した“民営の花園”で、昭和13年までは町人たちの手で営まれていたそうです。
公家や大名による大規模庭園とは一味異なり、“
下町のなかの花園”といった風情あるお庭で、四季折々の植物が楽しめる場所になっています。

今回、ワークショップの会場となった御成座敷のなかの「
御成の間」は、その昔、将軍などが来園したときのお休み処だったとか。
夏の夕暮れ時、
かつては浴衣姿の江戸の人々がうちわ片手にお庭を行き交っていたのでしょう。

今でも縁側の軒先に吊るされて、そよ風に揺れる日本のかたちは、
まさに日本の夏の訪れを感じさせます。

ワークショップの見学を兼ね、
ちょっとしたお手伝いをさせていただくのも約一年ぶり。

主催された東京都公園協会さんのご尽力により、
新聞に告知を多く出していただけたためか、参加者のみなさまも、お子様連れのご両親、若い女性3人組、お年を召されたご婦人やご夫婦でのご参加・・・とさまざまで、お庭を眺めながらにぎやかな紋きり遊びの会となりました。

さて突然ですが、ワークショップと、
いわゆる体験講座など従来的なお稽古ごとは、どんな違いがあるのでしょうか?
もちろんこの問いには確かな答えはなくて、それを考えていくことこそ、
ワークショップを続けていくひとつの意味でもあるのですが、私個人としては、一般的な「誰かになにかを教えてもらう」という一方向的な情報の受け渡しではなく、「自らから何かが生まれていく、なにかに気づく。集まったメンバーと互いにそんな場を共有する」という学びの形であることが、ワークショップの面白いところかな、と考えています。

言いかえれば、紋切り遊びを通して、
自分自身や隣の方々と対話が生まれ、小さな発見がある、そんなことがひとつのテーマになっているような気がしています。
大切なのは「○○を通して…」の「を通して」
の後部分とでもいいましょうか。

紋切り遊びは、いわば江戸の人々がくれた「文様の型」
という贈り物を、現代に生きる私たちが受け取る作業です。

ところが、「型」どおりに切るうちに、ひょっと「型破り」
してしまうことがある。
実は、そんな時こそ、作り手その人その人が、
前に飛び出てくる瞬間なのかもしれません。

そういう意味では、こどもは「型破り」の王様です。
切った紋切り型を配置して灯篭を作るときだって、
迷う大人たちを尻目に、迷いなくどんどん貼っていく。
この決定力、見習いたいなあ。


大人も負けてはいません。
お隣のおじさまは型紙どおりに切るのではなく、型を見ながらチョキチョキと、
自らかたちをアレンジして制作されていました。

奥様もとっても多作!


紋切り遊びは、いにしえの人々との対話でもあります。
そして、かたちを手で切り抜いていく作業を通して、
周りの方々との会話もはずみ・・・
失敗が思いもよらないような、
新しいデザインのアイディアにつながることもある!

最後にはひとつひとつすべて違う、
美しい行灯ができあがりました。


スタッフである私たちにとって、
紋切り遊びをよく知っていただき、楽しんでいただくのと同時に、より対話が生まれるようなしくみを作ることも大切な課題だと思っています。

ワークショップはまさに水モノ。
参加者の方々の顔ぶれはもちろん、そのときの季節や天候、
会場空間の構造によっても、そのつど雰囲気が変わります。
今回は、お庭を眺めながら、長テーブルでの作業。

これにも一長一短あるかもしれません。
参加者の方、ご感想はいかがでしたでしょうか??

紋切あそびのワークショップは、まだまだ他のやり方や、
たくさんの可能性を秘めているのではないかと思っています。
みなさまのグッド・アイディアや「
もっとこうしたほうがいいんじゃない?」というアドバイスを参考にさせていただきつつ、もっと発展させていけたらいいなと思っております。
お気軽にご意見、お寄せください!


東京都公園協会のスタッフのみなさま、ありがとうございました!
(丹羽朋子)